- 2022/06/08
- JAMAGAZINE, モータースポーツ, レース
恒例の耐久レースシーズン到来!24時間レースのなぜ
モータースポーツの世界では「24時間」というキーワードが目立つ季節となりました。5月28、29日 にはドイツで「ニュルブルクリンク24時間レース」が行われ、6月4、5日には国内でスーパー耐久シリーズ第2戦の「富士SUPER TEC24時間レース」、2輪でもFIM世界耐久選手権(EWC)「スパ24時間耐久ロードレース」が開催されました。さらに、11日には24時間レースの代名詞である「ル・マン24時間レース」、7月30日には「スパ・フランコルシャン24時間レース」が控えるなど、まさに24時間祭りといった状況です。24時間という長丁場のレースはいつ始まったのか、そしてなぜこの時期に開催するのか、伝統のル・マン24時間レースを題材に探ってみます。
24時間レースの代名詞ともいえる、ル・マン24時間レースが6月11日に開幕を迎えます。現在はFIA世界耐久選手権(WEC)の1戦に組み入れられていますが、そのスタートは1923年まで遡ります。日本は大正12年で、関東大震災が発生した年です。当時の日本の自動車産業はまさに夜明け前の状況で、翌年の1924年に、いすゞ自動車の前身である東京石川島造船所が英国ウーズレー社と提携し「ウーズレーCP型」のノックダウン生産を開始。トラックの国産化をスタートさせました。そのような時代に、欧州では早くも24時間という過酷な耐久レースが始まりました。
24時間レースを主催するフランス西部自動車クラブ(ACO)は1906年に設立されました。その設立趣旨には、「クルマとオートバイ使用に関する知識とトレーニングを通じてメンバーに必要な情報、サービス、アドバイスを提供する」「クルマやオートバイに関連するスポーツイベントを開催する」(ACOホームページより抜粋)とあります。クルマやオートバイの普及拡大にあわせ、メンバー同士の情報の共有はもちろん、スポーツイベント開催までも視野に入れていたことがわかります。
記念すべき第1回大会は、1923年5月26日にスタートを迎えました。ル・マン24時間といえば6月開催というイメージですが、これは第2回以降の開催がほぼ6月半ばで定着したからと言えそうです。では、そもそもなぜ6月の開催が定着したのでしょうか。レース関係者や文献資料などをひも解くと、「夏至の時期=年間で一番太陽が出ている時期」というのが有力な説となっています。
自動車の耐久性や信頼性を証明するには格好の24時間レースですが、ほぼ100年前の開催ということもあり、当時の自動車技術やレース環境は、現在とは全く別のものと考えられます。安全にクルマを運転する必須条件は「周囲の状況が肉眼で確認できること」が大前提であり、特に夜間の走行は現在とは比べ物にならないくらいの悪条件であったことが容易に想像できます。車両のヘッドランプの性能はもちろん、サーキットとして使用されたル・マンの街の照明設備も現在とは比較にならないほど頼りにできなかったと思われます。これらの事情から、開催期間中は「明るい時間が格段に長い」ことが必須条件だった言えます。技術が進化した現在の耐久レースでも、安全面の観点から日照時間が長いことは重要となります。富士SUPER TEC24時間レースを運営するスーパー耐久機構事務局は、この時期にレースを実施する理由として「安全面から、大会主催者である富士スピードウェイが、昼の時間帯が一番長い梅雨前のこの時期を選んで決定している」と説明します。
なお、ヨーロッパは日照時間が日本と比べて長めです。2022年6月11日は、フランスの日の出時間は5:45と日本に比べ1時間ほど遅めですが、日の入り時間は21:55と3時間ほど遅くなります。このような気候的な条件も、日本より欧州の方が24時間レースを開催しやすい環境だったと言えそうです。
長い歴史を誇るル・マン24時間レースですが、近年では日本の自動車メーカーの活躍が目立っています。ル・マンと日本に関するミニ知識を紹介します。
日本車の初優勝=マツダ787B(1991年)
日本人の初優勝=関谷正徳(1995年 マクラーレンF1GTR)
日本車&全て日本人ドライバーでの初表彰台=(1998年総合3位 日産R390GT1 星野一義/鈴木
亜久里/影山正彦)
日本車&日本人初優勝=(2018年 トヨタTS050 HYBRID 中嶋一貴)