- 2024/12/26
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「広報が選ぶ思い出の1台」② 川崎重工業 コーポレートコミュニケーション総括部 理事 桐野 英子
JAMAブログを監修する各メーカー広報担当者が、クルマやバイクを好きになった、もしくは自動車業界に進もうと思ったきっかけとなった、あるいは開発や発表・発売など業務で携わった「思い出の1台」をピックアップして熱く語ります。その第2回は、 川崎重工業・桐野英子さんです。2024年7月にカワサキモータースジャパンの社長から、コーポレートコミュニケーション統括部の理事となり、グローバル戦略企画立案という川崎重工の知名度認知度を世界中で上げる業務に取り組んでいます。入社以来、同社の二輪車や四輪バギー、ジェットスキーといった領域に深く携わってきた桐野さん。思い出の一台は、商品企画を担当した「Ninja H2」です。
―Ninja H2は、2015年の発売開始時に今までにないハイパワーと車体が注目を集めました。最近では初代NinjaのGPZ900Rに続いて米国映画に登場し話題を呼びましたね
社内でスーパーチャージャーの基礎研究をしている部門があり、市販化に結びつけようと2012年頃からその商品化に取り組みました。エンジンもフレームもすべてが新しいモデルです。欧州市場を中心に二輪車に対する社会的な姿勢が変化する中、環境型に対応するべく、そのベースになるエンジンを開発しようと取り組んできました。出来上がったエンジンの出力をそれ以上に上げることは難しいのですが、抑制することは可能です。そのためにも、新しいエンジンはまず最高のパワーを目指したのです。
―ハイパワーのエンジンに対してパイプフレームに市場が驚きました
ハイスペックモデルはアルミフレームが主でしたが、それではボディが大きくなってしまうのが課題でした。アルミは軽いイメージがありますが、ハイパワーに対応するにはフレームが大型化し、必ずしも軽くできません。ならばいっそのことパイプフレームでやってみるかとチャレンジしました。量産化に向け社内の審査を通過し、2014年秋にイタリア・ミラノで発表。すごい人だかりが出来たのが嬉しかったですね。
―一番楽しかったのはその時ですか
振り返ると一番嬉しかったし、楽しかったのは開発過程の時ですね。当社の量産オートバイとしては歴史上最高出力でしたので、次々とこれまで経験したことのない課題が発生し、それを解決していく。その過程が本当に楽しかったです。市場に出してしまうと私たちの手を離れてしまいますし。ちなみに、ライセンスでしたが飛燕のエンジンもスーパーチャージャーでした。飛燕も開発途上でいろいろなことが起こったのだろうなと思います。
自分でもNinja H2に乗ってみましたが、その加速は他のエンジンでは実現できないもので、アクセルを全開できませんでした。
―H2のエンジンは2024年のダカールラリーに出走した技術研究組合水素小型モビリティ・エンジン研究組合(HySE)の水素エンジン車・HySE-X1のベースエンジンとなりました。HySE-X2として25年のダカールラリーにも参戦します。
直噴のエンジンを開発していて良かったと思いました。水素エンジンに対応するにはインジェクターを変更するだけでほぼ対応できますし、よく作っておいたと思っています。
〈思い出の1台〉
KAWASAKIブランドのフラッグシップモデルとして開発された4ストロークの大型自動二輪。排気量998cc、水冷4気筒DOHCエンジンで、スーパーチャージャーを搭載した初の量産バイク。ツアラーやクローズドコース専用モデル、気軽に楽しめるネイキッドモデルもラインアップする。2022年に公開された米国映画にも主人公の愛車として登場し人気を博した。
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