Jリーグ30周年 日本サッカー支えた自動車メーカー発祥チーム

2023年は1993年5月15日にJリーグ(日本プロサッカーリーグ)の開幕戦が行われてから30周年です。現在はJ1からJ3までカテゴリーが増え、チーム数も全60チームに拡大しましたが、初年度はわずか10チームのリーグでした。「オリジナル10」と呼ばれるこの10チームのうち4チームは自動車メーカーのサッカー部が母体とし、現在は5チームが活躍しています。今回は自動車メーカーとJリーグの各チームの関わりを紹介します。

マツダ~サンフレッチェ広島F.C

サンフレッチェ広島F.Cは、1938年に創部した東洋工業(現マツダ)のサッカー部が母体です。Jリーグ以前の日本サッカーリーグ(JSL)に65年の第1回から参加し、68年までの4連覇を含め、JSL最多の優勝5回を誇る名門チームです。

Jリーグ参加前の92年にチーム名を現在のサンフレッチェ広島に改称し現在に至ります。J1では2012、13、15年に優勝し、一時代を築きました。JSLとJリーグを合わせ計8回の1部リーグ優勝は、鹿島アントラーズと並び国内最多です。

サンフレッチェ広島はJリーグで2012、13年連覇、15年も優勝した(写真は15年優勝)

トヨタ自動車~名古屋グランパスエイト

名古屋グランパスエイトは、トヨタ自動車のサッカー部が母体です。源流は39年に創部されたトヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)サッカー部で、現在のチーム名になったのは、Jリーグ参加前の90年です。世界的に有名な監督や一流選手を獲得し、魅力あるサッカーを展開するのがこのチームの特徴です。攻守ともに高レベルのパフォーマンスを発揮し、2010年に悲願のJ1初優勝を果たしました。

2010年にJ1初優勝した名古屋グランパスエイト(写真提供:名古屋グランパス)

三菱自動車~浦和レッドダイヤモンズ

呼称の「浦和レッズ」が定着している浦和レッドダイヤモンズは、三菱自動車のサッカー部が母体です。源流は三菱重工業のサッカー部ですが、戦後の財閥解体で1950年に三菱重工が3社に分割され、その一つである中日本重工業のサッカー部として同年に創部したのが始まりです。52年には「新三菱重工業神戸サッカー部」に改称しました。

その後、チーム名は「三菱重工業サッカー部」(64年)、「三菱自動車工業サッカー部」(90年)、「三菱浦和フットボールクラブ」(92年)と変遷し、96年に現在の名称となりました。2006年には悲願のJ1初優勝を遂げています。またAFCチャンピオンズリーグにおいても、3度の優勝を誇ります。

浦和レッズは2006年にJ1初優勝(時事)

日産自動車~横浜F・マリノス 

2022年のJ1で5度目の優勝を果たした横浜F・マリノスは、日産自動車のサッカー部を源流とします。1972年創部、77年JSL2部、79年に同1部に昇格しました。92年にチーム名を「日産F.C.横浜マリノス」に改称し、初年度からJリーグに参加しました。

93年のJリーグ開幕戦は、JSL時代に名勝負を繰り広げたヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)との対戦が組まれ、国立競技場には約6万人の観衆が集まりました。この歴史的な一戦では横浜マリノスが2対1の逆転勝利を飾りました。95年にJリーグで初優勝し、99年には横浜フリューゲルスと一つになり横浜F・マリノスとして新たなスタートを切りました。

横浜F・マリノスは1995年にJリーグで初優勝

ヤマハ発動機~ジュビロ磐田

1994年からJリーグで戦うジュビロ磐田は、「ヤマハ発動機サッカー部」が母体です。72年に創部し、東海社会人サッカーリーグを経て、79年にJSL2部、80年に同1部に昇格しました。Jリーグの発足を受けて92年に始まったジャパンフットボールリーグ(旧JFL)では初代王者となり、同年にはチーム名を「ヤマハフットボールクラブ」に改称しています。

93年にチーム名を現在の「ヤマハFCジュビロ磐田」に決定し、呼称がジュビロ磐田となりました。97年にJリーグで初優勝すると、99年に2度目の優勝を果たし、2002年には前後期とも優勝の完全制覇を達成しました。

ジュビロ磐田は2002年に前後期で優勝し完全制覇(写真提供:ジュビロ磐田)

自動車メーカーのサッカー部は、日本のワールドカップ出場が夢物語だった時代から、国内トップリーグで戦い、数多くの日本代表選手を輩出するとともに、Jリーグを盛り立ててきました。今シーズンはぜひ、各チームの歴史と重ね合わせながら、熱戦を楽しんでみてください。

 

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