- 2025/05/29
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広報が選ぶ思い出の一台⑦「NISSAN GT-R」(日産自動車)
JAMAGAZINEを監修する各メーカー広報担当者が、クルマやバイクを好きになった、もしくは自動車業界に進もうと思ったきっかけとなった、あるいは業務で携わった「思い出の1台」をピックアップして熱く語ります。第7回は、日産自動車の本多明夫さん。これまで商品・技術・企業広報を歴任した、ベテラン広報パーソンが選ぶ思い出の1台は「NISSAN GT-R」です。今回は、インタビューではなく直接寄稿いただきました。
私の思い出の一台は、2007年の東京モーターショーで発表したR35型NISSAN GT-Rです。
このクルマの始まりは、2001年の東京モーターショーでお披露目した「GT-Rコンセプト」でした。このコンセプトカーは一切予告をせずに当日、発表したので、紙面を確保しておらず、文字通り「サプライズ」したメディアもあったと聞いています。その後、2005年の東京モーターショーで「GT-Rプロト」を発表。2007年に正式発表すると宣言しました。
ちょうどその頃、私は広報に異動することになりました。技術広報や商品広報を経験し、やがてこのNISSAN GT-Rの発表の準備を担当することになりました。
このクルマはすべてが特別でした。ドイツにある「世界で最も過酷なサーキット」と言われるニュルブルクリンクを量販車として世界最高峰のタイムで走り切る。長らく280馬力がエンジン出力の上限とされていた当時、日産車として初めてこれを超える480馬力を発生。そのエンジンはクリーンルーム内で、高度な技術を持つ匠が一台一台、一人で組み立てる。あらゆるものにこだわりやストーリーがあり、限られた時間の中でこれらを理解し、発表の準備をするのは本当に大変でした。
いよいよ2007年の東京モーターショーで発表することが決まり、厳重な秘匿管理の下で準備を進めました。ほぼ毎日、一人で厚木にあるテクニカルセンターへ行き、開発チームと向き合っていたことを思い出します。当時のことを思い出すと、いろいろなことがあり過ぎて、人知れず涙が出ます。その中から、いくつか人に話せる思い出をご紹介したいと思います。
GT-Rはモーターショーでの発表前に、ヨーロッパの自動車文化と伝統を代表するイベントのひとつ、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードに参加しました。私は日本でエクステリアとインテリアにカモフラージュをしたGT-Rをコンテナに載せ、現地へと運びました。さらに現地ではそのコンテナを厩に隠すという厳重な秘匿管理をし、デモランの時間を待ちました。しかし、どこでどう伝わったのか、厩の前には早くから人だかりができていました。そして、コンテナからクルマを出し、厩の扉を開けた瞬間、どよめきが起こりました。写真はそのときのものです。カモフラージュしていたものの、「Oh, GT-R!GT-R!」と皆が叫んでいました。R35型になる前は日本以外では販売されていなかったGT-Rがなぜこんなに人気なのか?聞けば多くの人がゲームでその存在を知っていたようです。
このクルマはこだわりとストーリーが満載で、開発者に聞けば2時間でも3時間でも話が止まらないようなクルマです。どのようにしてこのプロジェクトが始まったのか。どのようにデザインや性能が決まったのか。部品の一つ一つはどのように開発されたのか。とてもモーターショーのプレスカンファレンスだけでは伝えきれません。そこで私たちは、東京モーターショーの前日に、国内外のメディアを招いて事前説明会を開催することにしました。場所はお台場にある地下駐車場です。秘密基地のような設えで、広い駐車場をすべて使い、クルマだけでなく、ありとあらゆる部品を展示して、匠によるエンジンの組み立ても実演しました。この頃の自分の写真を見ると頬もこけて本当にフラフラだったのですが、あるジャーナリストに「歴史に残る事前説明会だ」と言っていただけたことが、今でもうれしい記憶として残っています。
次に試乗会です。このクルマの性能をフルに確認していただくため、準備した会場は仙台にあるサーキットでした。メディアの皆さんにレーシングスーツを着ていただき、ヘルメット着用で走行していただくような試乗会を担当するのは、私にとっては初めての経験でした。ここでの思い出は、テストドライバーが運転するクルマの助手席に乗ってサーキット走行を経験するチャンスを得たことです。超高性能なスポーツカーの「G」を体験したのはこのときが初めてで、加速時、減速時、旋回時と前後左右に首がもげるような感覚を味わったことを覚えています。ちなみにこの「G」でもう一つ思い出があります。発表後にナンバーの付いたGT-Rを当時まだ東銀座にあった本社で預かることになりました。キーを預かっていた私は、そっと駐車場からクルマを出し、銀座周辺を一周してみたのです!アクセルをグッと踏み込んだ瞬間に、言葉では言い表せない猛烈な加速G。アクセルを踏んだら、胃がよじれるという信じられない体験をした私は、怖くなってすぐにクルマを駐車場に戻しました。
以上はすべて2007年当時の思い出です。その後、GT-Rは毎年改良を重ね、世界中のお客さまに愛され、気が付けば18年が経ちました。2018年にはイタルデザインとのコラボもありましたね。そんなGT-Rも今年、いよいよ新規の注文受付を終了しました。
もちろん私も毎年、GT-Rを買い替えてきましたよ。と言いたいところですが、そんなわけがありません。その代わりに、ずっとミニカーを買い揃えてきました。数も増え、置く場所もなくなってきたので、今は1/43のミニカーだけを自宅に飾っています。写真はその一部で、GT-Rコンセプト、GT-Rプロト、グッドウッドを走ったカモフラージュしたGT-R。そしてエゴイストです。
なぜエゴイストを選んだのかというと、少し前に偶然、エゴイストを栃木工場の工房で組み立てていた匠に会ったのです。また、これも偶然ですが、復活した日産の社会人野球チームを応援するブランスバンドに、2007年当時のGT-R開発メンバ-を見つけました。18年も経ったので、皆、年を取りましたね。
そういえば、毎号、パーツを購入して1/8モデルを組み立てるシリーズでもGT-Rを扱っていただきました。出版社は異なりますが、初期の頃のGT-Rと後に発売したGT-R NISMOの2回です。一つのモデルで2回というのは凄くないですか?全部を買い揃えるのは大変なので、私は2回とも、創刊号のバンパーだけ購入し、今もオフィスの机に飾っています。