- 2025/07/01
- JAMAGAZINE, その他, 思い出の一台

広報が選ぶ思い出の1台⑧「日野レンジャー/HINO600シリーズ」 (日野自動車)
JAMAブログを監修する各メーカー広報担当者が、クルマやバイクを好きになった、もしくは自動車業界に進もうと思ったきっかけとなった、あるいは業務で携わった「思い出の1台」をピックアップして熱く語ります。その第8回は日野自動車の澤田智則さんです。渉外広報部広報グループ長として、企業広報はもちろん、ジャパンモビリティショーの企画立案などにも奔走しています。澤田さんの思い出の1台は「ダカール・ラリー」の参戦車両です。特に今年のラリーでは、駆動系の深刻なトラブルを乗り越え、連続完走記録を34に伸ばしたことで、思い入れもひとしおだと言います。
―元々ラリーが大好きというわけではなかった
日野がダカール・ラリーに参戦していることは以前から知っていましたが、中途入社した2018年当時は渉外広報部にダカール・ラリーを主幹するグループがありました。広報素材として扱う中で、スタッフやチームメンバーがどういう思いで開発して活動を続けているのか、直接話を聞いていました。彼らが海を渡り、異国で悪戦苦闘しながらもどうにかしてクルマを走らせていることを想像しながら、現地からメールで届くレポートを毎日読んでいました。今年、無事完走できたことを知ったときは涙が出るほどうれしかったです。
―今年はトランスファー(全輪駆動車の駆動伝達装置)のトラブルで完走が危ぶまれました
前半は好調でしたが、後半戦の3日目にトランスファーのトラブルが起き、私も気を揉む日々が始まりました。最終日の前日に砂丘の頂上で動けなくなり、他の参加者に助けてもらって脱出したものの、レポートには「救援を待っている状態。牽引するべくメカニックが向かっている」以降の情報がなく、がく然としました。後日、乗員が現場で後輪駆動化して脱出したと聞いて、その作業の大変さたるや、容易に想像できました。各メンバーの能力の高さはもちろん、チーム一丸となって団結しないと実現できなかったと思います。
―広報の立場から、チームの奮闘を見て感じたことは
ダカール・ラリーに挑戦し、完走したことは誰に対しても誇れることだと思います。世界最高峰の舞台で戦う仲間がいることは社員の話題や求心力になります。また、販売会社から参加しているメカニックもおり、人財育成の意味も大きいです。「ラリーをやっているから日野のメカニックになりたい」と言ってくれる方も数多くいます。広報として、こうした活動を世の中に知っていただくことは自分の仕事としてもとても嬉しく、ありがたいと感じます。レース後には「参戦報告会」も開き、どんな思いで取り組んでいるか、菅原照仁チーム代表やメンバーから協力会社の皆さんやメディアに向けて、直接語っていただきました。
―今後の活動への期待を
2026年のレースに向け、目下、車両を開発中です。今回のトラブルも踏まえてアップデートを施し、より速く、耐久性のあるクルマを目指しています。私個人としては、レースに出る以上は上位に入賞してもっと注目を浴びてもらいたいという思いがあります。その一方では無事に帰ってきて、連続完走記録を伸ばしてほしい気持ちもありますね。協力会社を始め、たくさんの方々に支えられて参戦を続けられており、そこには感謝の気持ちしかありません。広報としてもっと注目していただき、ダカール・ラリーの魅力や奥深さ、日野チームスガワラの活躍を知ってもらえれば嬉しいです。
〈思い出の1台〉
2025年のダカール・ラリー参戦車両は「日野600シリーズ」がベースながら、ディーゼルエンジンの最高出力は800馬力、フルタイム全輪駆動と、市販車とはかけ離れた性能を発揮する。日野は1991年に初参戦(当時はパリ・ダカールラリー)。排気量に勝る海外メーカーの大型トラックを相手に、機動性に優れる中型トラックでの挑戦を続けている。参戦チーム「日野チームスガワラ」には、日野の社員や販売会社から選抜されたメカニックが加わることも特徴。ダカール・ラリーは毎年1月に開かれ、発足当初はアフリカであった主戦場は2009年大会からは南米、2020年大会からはサウジアラビアで実施されている。
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