- 2025/11/27
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広報が選ぶ思い出の一台⑬「セロー」(ヤマハ発動機)
JAMAブログを監修する各メーカー広報担当者が、クルマやバイクを好きになった、もしくは自動車業界に進もうと思ったきっかけとなった、あるいは業務で携わった「思い出の1台」をピックアップして熱く語ります。
第13回は、ヤマハ発動機コーポレートコミュニケーション部広報グループの太田晴美さんです。思い出の1台は、自身でも愛車として乗っている同社のオフロードバイクで、35年間販売され続けたロングセラーモデル「セロー」です。
―ヤマハ発動機入社の経緯は
「社内に当時あったバレーボール部のプレーヤー枠で1994年に入社しました。当初は製品の塗装やグラフィックなど開発・設計の補助を担当し、2004年には二輪車の主力市場であるASEAN(東南アジア諸国連合)向けスクーターの商品企画に異動しました。それから先行デザイン開発に関するカラーリング技術に携わった後、『セロー』や四輪バギーをはじめとするオフロードモデルのデザイン企画担当に就きました。その後は自身の希望で、小学生対象の『親子バイク教室』のヤマハ ライディングアカデミー インストラクターを務めるなど、ヤマハを知ってもらい、お客様との接点をつくる仕事を経て、2025年からは新しいことにチャレンジしようと、広報グループに所属しています」

―二輪車とのつながりはいつからですか
「入社したヤマハ発動機が二輪メーカーだったという環境が大きいです。バレーボール部時代、周りの同僚は週末ツーリングに出かけており、私も一緒に行きたいと思っていました。バレーボール部から離れた2000年には大型二輪免許を取得、そこから私のオートバイライフが始まりました。その後、自身でオフロード競技を始めましたが、きっかけはやはり仕事でオフロードモデルのデザイン担当をしていたからです。バイクの仕様変更では、常に乗りやすいようにアップデートされていくため、ユーザーが買う時にワクワクするような形とか色とか、「ヤマハらしさ」というところを気にかけながら、車両デザインを手掛けてきました」
―思い出の1台はセローですね
「セローは2020年にファイナルエディションが発売され、35年の歴史に幕を下ろしていますが、安定して長く人気を集めていました。セローは私も所有しており、現在も愛車のひとつです。スタイリングは初代からのコンセプトが基本的に変わらず受け継がれていました。コンパクトなオフロードモデルで使い勝手がよく、競技用車両ではない(250ccの)小型二輪車です。ユーザーは40~50代の男性がメインでしたが、女性も全体の1割弱を占めていました。その時々の時代感に合わせたカラーリングや、 ファイナルエディションでは緑や赤のカラーフレーム等を採用し、当時のアウトドアブームも背景に幅広い層に気に入ってもらえました」

―2014年ごろからオフロード競技にも本格的に取り組んでいたそうですが
「自分がデザインなどを手掛けたモデルで、自分が競技するのも面白いと思っていました。現在、本格的に競技はやっていませんが、2016~22年には(オフロードバイクレースの)『全日本エンデューロ選手権』や『エンデューロ世界選手権』のウィメンズクラスに出場しており、22年には全日本エンデューロ選手権シリーズチャンピオンも獲得しました。今でも趣味ではありますが、週末に仲間と一緒にオフロードバイクに乗って楽しんでいます。」
―今後も広報の立場で伝えていきたいことは
「これまでいろいろな仕事を経験してきました。職場内で一緒にツーリングに行くことで、懐かしい人に会ったり、新しい人に出会ったりと、世代を問わずにいろいろな方にお会いします。バイクを通じて社内コミュニケーションが取れ、つながりが持てたという点は広報でも活かされています。バイクは〝操る〟という感覚が強いので、五感を刺激して乗って使って楽しむ製品です。私のスタイルとしては自分で使ってみて、製品を理解して、製品の良いところをお客様を含め対外的にしっかり伝えていきたいと考えています」

〈思い出の1台〉セロー
車名は英語でカモシカを意味します。十分なパワーを兼ね備えた4ストロークの単気筒エンジンを搭載し、ツーリングをはじめとした山遊びなどに最適な軽量・スリムな車体はユーザーが扱いやすく、街乗りにも適していました。1985年の発売以来、オフロードファンだけでなく、女性やビギナーなど幅広いライダーに受け入れられたロングセラーモデルです。

ヤマハ発動機コミュニケーションプラザに展示された初代セロー(右)
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