ミュージアムの歩き方⑤ヒューモビリティワールド(ダイハツ工業)

自動車メーカーが社の歴史や技術、最新の製品などを展示する博物館(ミュージアム)を紹介するシリーズ。第5回はダイハツ工業の「ヒューモビリティワールド」です。大阪府池田市にあるダイハツ本社を訪ねました。

※記事中の展示やイベントは取材当時のもの

大阪梅田駅から阪急宝塚線の急行で約18分。ヒューモビリティワールドがあるダイハツ本社は池田駅から車で約10分の場所にあります。住所は「池田市ダイハツ町1-1」。ダイハツの本社が大阪市内から移転した翌年の1966年に神田町と北今在家町の一部がダイハツ町に変更され、そのほとんどがダイハツ本社と工場が占めています。池田駅から利用したタクシーの運転手によると、「以前(量産車を生産していたころ)は工場が休みになるお盆には街が閑散とした」というほど多くの人が働いていました。

軽三輪トラック「ミゼット」がお出迎え

ダイハツ本社に到着して玄関を入ると、ピカピカに磨かれた2人乗りの「ミゼット」(MP5型)が待っています。昭和30~40年代に小口配送を支える「商店街の足」となり、爆発的にヒットしました。そしてミゼットの誕生は、一般家庭では手が届かなかった自動車が身近な存在になる契機となりました。

かんがい用ディーゼルエンジン

始まりは国産の発動機

2階に上がると、「ダイハツの原点」を紹介する展示があります。ダイハツの歴史は1907年、エンジンの国産化を目指して「発動機製造株式会社」を設立したことが起点です。初期の製品は発電用や船舶用の吸入ガス発動機で、改良を重ねたディーゼルエンジンをより幅広い用途に使える産業用エンジンに進化させ、農業や工業などの産業を支えました。展示されているのは、現存するダイハツ最古の発動機LH-25型で、1933年に開発された水田に水をくみ上げるためのかんがい用高出力ディーゼルエンジンです。

ダイハツ号

その隣には、三輪自動車の「ダイハツ号」があります。「大阪にある発動機製造会社」を略して「ダイハツ」と呼ばれていたため、その略称をそのまま製品名として使われました。ダイハツは、自社製のエンジンを搭載したダイハツ号の成功をきっかけに自動車メーカーとしての道を歩み始めます。1951年には略称を正式な社名として「ダイハツ工業株式会社」としました。

小型三輪SSP型

運転席部分

ダイハツは、小型三輪自動車に始まり、荷台の形や積載量、車体の大きさなどの組み合わせでさまざまな三輪自動車を発売し、日本の物流や産業の発展に貢献しました。

シャレード デトマソターボ

歴史遺産車選定記念の企画展

2階の企画展コーナーには、1984年に発売された「シャレード デトマソターボ」が展示されていました。世界初の4輪乗用車用1,000CC級4サイクル3気筒エンジンを量産化し、「5㎡カー」と宣伝した広い室内と高出力、低燃費を実現。若い世代の憧れだったファミリーカーを身近にした存在でした。シャレードは2025年に「広くて小さい快適な経済車」の先駆者として日本の自動車史に残る名車として評価され、歴史遺産車に選定されました。展示されていた赤黒ツートンカラーの「デトマソ ターボ」は、イタリア製ブランドパーツを装備したスポーティーなデザインで、内装もツートンにして乗車した時の楽しさも追及していました。

企画展は定期的に内容が変わります。

ミゼットのあるヒューモオート

くらしの変化をダイハツ車と共に紹介

3階は、戦後から現在までのくらしの様子をダイハツ車と共に展示しています。「あんな暮らしのころにはこんな車があったな」と、「あの頃」を思い出させてくれる展示に引き込まれます。

それぞれの時代の様子を模型などで再現し、懐かしい品々やダイハツ車が展示されています。1950年代は「家電の三種の神器。『白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫』が登場しました」と紹介。戦後の復興が進んで人々が働く場を持ち、徐々に景気回復したなかで豊かな暮らしの象徴が「三種の神器」でした。街を走る自動車はほとんどがトラックだった時代で、小回りがきいて重い荷物を運べる三輪トラック「ミゼット」が大人気でした。多い月で8,500台も売れたそうです。発売当時の1957年は、サラリーマン年収が21万6,000円(民間統計調査)で、ミゼットは19万8,000円でした。

1970年代コーナーとシャレード

1980年代の好景気

初代シャレードが発売された1977年は、サラリーマンの年収が226万3,000円(同)で大卒初任給が約10万円(厚生労働省調査)にまで経済が成長した時代。シャレードは65万3,000円でした。1980年代のかつてない好景気のなか、自動車は一家に2台の時代になり、女性の就職率も急上昇しました。

日清カップヌードルが描かれたパネル

ヒット商品で記憶よみがえる

展示では、時代を表現する工夫が目を引きます。イラストのパネルには、その時代に売られてヒットした商品が描かれており、生活の記憶をよみがえらせます。1990年代のコーナーには、スーパーで買った品物が入った袋の中に、同じ池田市に縁がある日清食品の「カップヌードル」やカップスパゲティ「Spa王」などが描かれ、自動車だけでなく食生活の変化も表現されています。

2011年に発売された初代ミライース

第3のエコカーで環境にやさしく

省エネや省資源の大切さを追求した2000年代。「低燃費の軽自動車を低価格で」というコンセプトで、ガソリン車で低燃費技術を徹底的に追及した「第3のエコカー」ミライースが発売されたのは2011年でした。サラリーマン年収は358万3,000円(民間統計調査)、大卒初任給は20万5,000円(厚生労働省調査)で、ミライースの販売価格は79万5,000円~でした。手頃な価格と優れた燃費性能で注目を集めました。家庭の楽しみ方や人の生活が個性化するなか、軽自動車も多様化しました。2000~2010年代には、ミライースのほか軽オープンスポーツカー「コペン」や予防安全装置「スマートアシスト」搭載の「ムーヴ」など、低燃費の軽自動車が「エコカー」として注目されました。

「クルマの原理」を体験

それぞれの時代を思い出して郷愁を感じつつ4階に上がります。そこには、ダイハツの自動車製造のあらゆる技術が展示されています。「走る・曲がる・止まる」という自動車の基本的動作の技術や低燃費の技術、予防安全機能の技術などが実物部品とともに体験装置で分かりやすく学べます。

なかでも、車体のデザイン、軽自動車の設計をゲーム感覚で楽しみながら体験できる「クルマづくり」のコーナーでは、自らが設計エンジニアになっていろいろな部品を設置し、使いやすい自動車を設計することができます。「どのクルマを作る?」の選択肢では、ハイゼットトラック、ミライース、タントから1つを選び、乗車する人数や用途などクルマの使い方に応じてパーツを配置し、指で形を描いて自動車を作っていきます。最後はその完成度に点数がつけられるというゲーム感覚の体験コーナーです。

施設の担当者にインタビュー

時代によって変化する生活や価値観に応じて軽自動車を進化させてきたダイハツ。社会や顧客のニーズに応えるため、新たな技術や機能、デザインを開発し続けてきました。その歴史が凝縮されているヒューモビリティワールドについて、設立意義やコンセプトを広報室 総括・公開グループの宮崎稔也さんに聞きました。

ヒューモビリティワールドは2007年、ダイハツ工業の創立100周年を記念して開設されました。お客様に寄り添って、車を通じて「暮らしを豊かにするもの作り」の歴史を見ていただく機会を作るためのミュージアムです。直近は年間約1万人の来場者があります。平日は小学校の社会科見学を中心とした団体が対象、土曜は一般公開しています。

世代を超えて寄り添う

子どもが楽しめるように体験型の展示をしている4階部分は、大人も一緒に参加して親子の会話ができる仕組みになっています。大人は自分が生きた世代、すなわち過去の記憶と紐づけ、子どもと「(自分の)小さいころには、こんなことがあったよ」などの会話をしています。池田市への帰省の機会に三世代で来場する家族もあり、世代を超えて生活に寄り添ってきたことをあらためて実感します。

年代ごとに車を通じて世相を体感できる3階では、当時の「街の音」を再現して流すほか、サラリーマンの平均年収や大卒初任給などを展示しています。当時の社会の記憶を呼び起こし、来場者が自身の経験や思い出と重ね合わせながら、その時代の空気感を感じられる工夫がなされています。

お客様が必要とするものを作り続け

創業時からを展示する2階部分も含めミュージアム全体を通じて知ってほしいことは、「ダイハツがいかに愚直にお客様と向き合ってきたか」です。時代の変化に合わせ、もの作りも変化します。それに向き合い、応え続けてきたというのがダイハツの企業姿勢でした。さらに、小さい車、すなわち軽自動車、コンパクトカーにこだわり、「お客様が必要としているもの」を作ってきました。社内の会議では今も「…それはお客様にとっていいものなのか、方向性は正しいのか」などの会話がなされています。

1957年ミゼットDKA型

このような企業姿勢は、ミゼット誕生の背景にも見られます。

戦後、オート三輪が急速に普及して大型化し、四輪トラックも走り始めていたころのこと。ダイハツは「最近のオート三輪は、積載量は多いが価格が高くて大きすぎる。しかし、オートバイでは積載量が足りない」というお客様の声を聞き、そのニーズに応えるために軽三輪トラック「ミゼット」を開発したのです。必要とされているものを作り、庶民が手に入れられる製品を開発する。それは今も変わらない姿勢であり、社会に寄り添い続けています。

1939年に発動機製造が池田工場の操業を開始して以来、ダイハツは池田市に根差した企業として発展してきました。その一環として、地域貢献にも力を入れています。「ものづくり体験教室」は、ダイハツの社員が近くの小学校を訪問し、社会科で「日本の工業」を学ぶ5年生を対象に「出前教室」を開くものです。プレスに始まる車の製造工程を体験できる教室で、鉄板などの部品や工具の実物を持参し、子どもたちに実際に触れて使ってもらう授業です。LEGOのブロックも使ってタイヤやドアを取り付け、クルマが完成するまでの工程を体験できる教室で、大変盛り上がります。

関連リンク

ミュージアムの歩き方 アーカイブ- JAMA BLOG 一般社団法人日本自動車工業会

ダイハツ工業

ヒューモビリティワールド