ミュージアムの歩き方⑥富士モータースポーツミュージアム(トヨタ自動車)

自動車メーカーが自社の歴史や技術、最新の製品などを展示する博物館(ミュージアム)を紹介するシリーズ。第6回はトヨタ自動車が支援し、富士モータースポーツフォレストが運営する「富士モータースポーツミュージアム」です。日本を代表するレーシングサーキットの1つ、富士スピードウェイに隣接するミュージアムを訪ねました。

※記事中の展示やイベントは取材当時のもの

来場者を迎えるトヨタ7

レースの歴史と技術進化の軌跡をたどる

富士モータースポーツミュージアムは、富士スピードウェイに隣接する富士スピードウェイホテルの1~3階にあり、2022年10月のホテル開業と同時に開館しました。建物に入ると垂直に立つ幻の名車「トヨタ7」(レプリカ)が来場者を出迎えます。ミュージアムに展示されているのはトヨタのレース車だけでなく、国内外の自動車メーカー10社をはじめ、他の博物館や個人オーナーなどが連携したことにより、レース、ラリーに出場したさまざまなメーカーの貴重な車両約40台を“鑑賞”することができます。

「モータースポーツが車を鍛え、進化させた熱い歴史をたどる」。入口手前のボードにはミュージアムのコンセプトそのものが書かれています。130年にわたって繰り広げられ続けるレースの歴史にはじまり、自動車の技術が進化した軌跡をたどることができます。

パナール・エ・ルバッソールType B2

クラシックカー続々

展示エリアに入ると、馬車のような形をした赤い車両が待っています。フランス最古の自動車会社「パナール・エ・ルバッソール」の1899年式「Type B2」。前方にエンジンを搭載し、クラッチ、ギアボックス、デフ機構を経てチェーンで後輪を駆動させるFR(フロントエンジン・リアドライブ)方式を初めて採用した車です。

トーマス・フライヤー モデルL

その隣にはまた赤い車両。1908年に開かれた世界初の壮大な自動車レース「ニューヨーク・パリ世界一周ロードレース」で優勝した米国車「トーマス・フライヤー 35」の後継となる「同モデルL」です。アメリカ大陸を横断した後、太平洋を渡って神戸港に上陸。大阪、京都、滋賀を経て北陸道で日本海側(敦賀湾)まで走り、ウラジオストクに向かいました。

フォード999

さらに、赤い車両が続きます。米国の自動車王、ヘンリー・フォードは、「富裕層の持ち物であった自動車を、一般の人にも買えるものにし、自動車を使うことによって人々の生活を豊かにしたい」という大きな夢を抱いていました。その実現手段として、モータースポーツでの勝利や、世界記録を樹立することで資本家の関心を引き、さらにフォード車の優秀性を証明しようと考えて製作されたのが「999号」です。1902年製で1万8946ccという大排気量の車でした。

ポルシェ356

シルバーの流線形モデルは1950年製の「ポルシェ356」。RR(リアエンジン・リアドライブ)方式をスポーツ車として発展させ、後の「911」シリーズに引き継がれていくルーツとなりました。

トヨペットレーサー

トヨタの歴史的レース車両

トヨタの歴史を語るレース車両も展示されています。トヨペットレーサー(レプリカ)は1951年、トヨペットSD型乗用車をベースに作られました。「優れた小型車を作るためにはレースを通じた技術向上が不可欠」として製作されました。

トヨペットクラウンRSD

「モータースポーツが車を鍛える」という考え方は、トヨタ自動車創設者である豊田喜一郎が販売店広報誌に寄稿した原稿に表れています。「乗用車の製作研究は、どういう試験をしてその欠陥を知り改良すべきであるかというと、オートレースをおいて他にありえない」と断言しているのです。

トヨタの世界レベルのモータースポーツ活動は1957年、当時最も過酷なラリーと言われた「第5回オーストラリア一周ラリー」にトヨペットクラウンが日本車として初参戦したことに始まります。フォルクスワーゲンやポルシェなど86台が出走し、完走した52台のうちクラウンは総合47位で完走しました。この挑戦は競技参加だけでなく、戦後の日豪関係修復の一端を担ったとも言われています。

ホンダRC162

ホンダRA301

国内各社の貴重なレース車両も

1階には、20世紀初頭のレース黎明期の車両や、日米欧自動車メーカー創業者4人の関わったレース車、1960年代の日本グランプリ参戦車などが展示されています。1961年にホンダがロードレース世界選手権250ccクラスに出場した二輪車RC162や1968年のF1シーズンに参戦したRA301は、ホンダ創業者の本田宗一郎氏のレースへの想いを伝えています。

ベレット1600GTRレーシング

ベレット1600GTX

いすゞ自動車が乗用車を生産していた時代に人気だったベレットのレース車も存在感を示しています。1969年に鈴鹿12時間レースにプロトタイプで参戦した「いすゞベレット1600GTX」と1970年富士スピードウェイ「日本オールスターレース」クラス優勝車の「同1600GTRレーシング」。市販車ベースで耐久レースに挑むことでその成果を次の開発に生かすという姿勢が感じられます。

ティレルP34

富士F1開催50周年の企画展を開催

2階に上がると、「富士F1開催50周年企画展」が開かれていました。各自動車メーカーがレースへの参戦を通じてより優れた市販車を開発した1960年代から、オイルショックによる原油価格の高騰や排ガスをはじめとする環境問題が発生した1970年代。レースからの撤退も相次ぎましたが、輸入スポーツカーの人気や日本人ドライバーの海外での活躍を背景に、日本にモータースポーツブームを巻き起こしました。

そんな時代のさなか、1976年にアジアで初めてF1グランプリが開催されたのが富士スピードウェイでした。

この年のF1シーンに登場したのが、革命的車両と言われた6輪車「ティレルP34」でした。F1で走った唯一の6輪マシンで、空気抵抗を減らすために前輪を小径化し、その結果として生じるグリップ不足を補うため前輪を4輪に増やすというアイデアに富んだ革新的な車両でした。

ダットサンブルーバード1300SS

国産ヒストリックラリーカーが勢ぞろい

ラリー車の展示では、1966年に世界三大ラリーの1つ、第14回サファリラリー クラス優勝車の「ダットサンブルーバード1300SS」が目を引きます。参戦した際についた傷やへこみがフィニッシュ時の形状そのままに保存されており、レースの過酷さを伝えます。

トヨタセリカST185

1995年の同ラリーで優勝したトヨタ「セリカST185」も、ボンネットから屋根にかけて配置されたシュノーケルや、ステーを介してリアガラス上に装着されたスペアタイヤなど、過酷なサファリラリーに臨んだ“勇姿”が再現されています。このほか、三菱自動車、スバルなど世界で活躍した国産のラリーカーが勢ぞろいしており、ファンにとっては夢のような空間となっています。

マツダ787B

耐久レースの名車たち

ロータリーエンジンの実用化と量産を実現したマツダは、「マツダ787B」の車両を本ミュージアムに貸与しています。1968年のニュルブルクリンク「マラソン・デ・ラ・ルート84時間」を皮切りに、スパ24時間など海外の耐久レースに積極的に参戦しました。787Bは、ロータリーエンジンにとって最後のレースとなった1991年、日本車として、そしてロータリーエンジン搭載車として初のル・マン24時間制覇を果たしました。

トヨタGT-One

その隣には、「トヨタGT-One」が展示されています。ル・マン24時間の優勝を目標に空力性能に優れたマシンを開発しました。1999年の2度目の挑戦で片山右京、土屋圭市、鈴木利男の日本人トリオが乗り、総合2位に入賞しました。展示車両はその実車です。

トヨタTS050 HYBRID

レーシングカーもハイブリッドの時代

トヨタは2012年、ハイブリッド車で世界耐久選手権(WEC)に復帰しました。2018年のル・マン24時間で、日本車と日本人ドライバーの組み合わせで初めて総合優勝を飾りました。2019年で優勝した「トヨタ TS050 HYBRID」は、圧倒するような風格で訪問者を引きつけます。

ハイブリッド・レーシングカーでは「トヨタ スープラ HV-R」も展示されています。2007年に十勝24時間に参戦し、3136キロを走破して総合優勝を果たした実車。レーシングカーの世界にハイブリッド化の流れを作るという役割を果たしたパイオニアと言えます。

トヨタ2000GT スピードトライアル

魅力あふれる古今の名レーシングカーたち

このほか、1985年に発売され爆発的な人気を誇ったAE86レビンをTRDがチューンした「N2仕様車」や市販4ドアセダンで運動性能が優れた「JTCC エッソ トムス チェイサー」、市販前の時点で、映画「007は二度死ぬ」に登場し、日本車初のFIA(国際自動車連盟)公認の世界記録を獲得した「トヨタ2000GT」。同館に展示されている「スピードトライアル(レプリカ)」は、優れた耐久性と高性能を世界に証明しました。

施設の担当者にインタビュー

自社だけでなく国内外自動車メーカーの協力を得た常設展示は、モータースポーツのミュージアムとしては世界初の試みといえます。社会や経済、環境によって変化してきた自動車業界は、それぞれの時代に対応しつつ製品の品質や精度を高める努力を重ねてきました。トヨタ自動車は、愛知県長久手市にも世界の自動車史を紹介する「トヨタ博物館」を保有していますが、富士モータースポーツミュージアムは、モータースポーツがクルマを鍛えた歴史を展示する博物館です。富士スピードウェイの隣接地に開館した背景や、展示コンセプトを布垣直昭館長に聞きました。

布垣直昭館長

ホテルとセットのメリットも

2022年に開館してから徐々に来場者が増え、現時点で累計約20万人となりました。夏休みは小さなお子様含めたご家族も多く、一方でレースのある時期にはまさにレース好きの人が来場します。レースに興味のない人にも見に来てほしいので、特別にお子様が乗れるレース車を置くなど、家族連れのためのイベントを開いています。

富士スピードウェイホテルはサーキット側と富士山側の客室がありますが、どちらも人気でいつも満室です。ホテルは、例えば24時間耐久レースを観戦している際、中盤に気分転換でミュージアムに行ったり、部屋に戻ったりして過ごすことができます。

サーキットに隣接するのは必然

愛知県にあるトヨタ博物館にもレース車を展示していましたが、世界中の車の歴史を展示していますので、車両が増え続け、展示を量産車中心にせざるを得なくなりました。収蔵車は動態保存にこだわっているので、デモ走行などでは、レース車は爆音が出ます。市街地域にあるトヨタ博物館では走らせられないので、サーキットにホテルを建設する話があったとき、「走らせる場所が確保できる」という条件が整いました。モータースポーツミュージアムはここでなければできませんでした。

各社の協力を得られた背景

メーカー各社の協力を得られたのは、時代の必然性からだと思います。歴史を飾った重要レース車は各社が大切に保管されていて、これを手放すはずがありません。しかし、自動車業界が激変する中、将来を心配する機運もあるこの時代、「自動車文化の伝承のためなら」、「永続的にクルマへの関心を高めてほしい」、「この業界はどうなっていくのか」、「自動車文化を作りたい」などの思いが積み重なり、ご貸与という形でここに貴重な車両が集まったのだと感じます。20年前であればできなかったでしょう。

「クルマ文化」を広げる

富士モータースポーツミュージアムができたことで、レジェンドドライバーからも「居場所ができた…」と言っていただいたりしています。また、観光目的でも来られる方が増えるなど、これまでのレース見学のお客様とは違う方々にも来ていただけるようになってきました。モータースポーツそのものも「クルマ文化」です。歴史を通じて、モータースポーツもスポーツの仲間として、アスリートと同じように地位を向上させたいと考えています。

そのためにも、分かりやすい説明を心がけています。ある家族連れが来場された際、はじめはお父さんと息子さんは興味を持って聞いてくれていましたが、お母さんはつまらなさそうでした。そこで、お母さんには、今乗っておられるクルマの技術も、展示されているレース車からはじまっているものがいっぱいある事をご紹介したところ、「もう1回初めから聞きたい」となったこともあります。

クラシックカーフェスの様子

地域に根差したイベントも実施

トヨタの施設は地域に根差しています。長年文化施設があり、イベントを実施することで地域のお客さんの来場数も増えます。一過性ではなく継続することで、次の世代の子が来てくれるようになります。愛知県長久手市では、「施設があるお陰で文化がある街」とも言っていただけます。同市で毎年開催する「トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル」は、一般オーナーが所有するクラシックカーでパレードするのですが、「長久手市の風物詩」になったと言われています。土地の文化の1つとして仲間に入れてもらえている。とても光栄なことです。

関連リンク

ミュージアムの歩き方 アーカイブ- JAMA BLOG 一般社団法人日本自動車工業会

トヨタ自動車

富士モータースポーツミュージアム