自工会二輪車委員会 新委員長就任 — 2025年初のメディアミーティング
自工会の二輪車委員会は報道関係者を対象に新年最初となるメディアミーティングを開催しました。2024年11月に新たに自工会二輪車委員会委員長に就任した設楽元文より年頭のご挨拶を行うとともに、集まった一般紙誌や専門誌メディアと2025年の国内二輪市場の展望について活発な議論が交わされました。
二輪車委員会委員長スピーチ動画(画面下の字幕ボタンをONにすると日本語字幕が表示されます)
◾️自工会二輪車委員会委員長 設楽元文(ヤマハ発動機株式会社 代表取締役 副社長執行役員)
本日は、月末のお忙しいところ、また午前中開催にも関わらず、第11回二輪車委員会メディアミーティングにお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。昨年度も自工会活動への皆さまのご理解とご協力に感謝しております。また今年も変わらぬご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。
改めまして、私は二輪車委員会の委員長として皆さまにお目にかかるのが初めての方が多いと思います。後ほどプロフィールをご紹介させていただきますが、入社当時、東京で商品企画、広報に従事していたため、本日ご参加の皆さんの中には当時にお世話になった方もいらっしゃいます。お顔を拝見いたしまして懐かしさと共に非常に嬉しく思います。
2022年から開催しておりますメディアミーティングは今回で第11回を迎えますが、こうして私たち自工会の取り組みへの理解並びに闊達な意見交換をさせていただき、さらにはメディアの皆さまからの発信をもとに世の中に二輪市場の現状や課題を伝えられている事を大変ありがたく感じております。この場をお借りして感謝申し上げます。ありがとうございます。
さて、本日は「2025年国内二輪市場の展望」を主なテーマとして、進めさせていただきますが、私どもの取り組み紹介だけではなく、みなさまからのご意見も積極的に伺えるような場にしたいと存じます。
昨年を振り返ってみますと、円安基調からの急激な円高や原材料高騰による物価上昇が家計に大きな影響を与えていますが、その反面インバウンドは2019年を超え、過去最高の340万人以上の訪日外客数となり、多くの消費が生まれました。この傾向は今後も続くと想定されており、オーバーツーリズム対策が道半ばと言われているものの、日本での消費が増える事で経済も潤うわけですから今後の景気回復に期待したいところです。
二輪市場はといいますと、後ほど詳しくご説明いたしますが、2018年以降の免許人口増加や、2021年から安定して40万台を維持していた登録・出荷台数も4年ぶりに40万台を割る結果となりました。要因については、市場を熟知している皆さまからのご意見をいただきながら共有、分析いたしたいと思います。需要の活性化のみならず国内の二輪車文化が健全な形で発展するよう取り組んでまいりたいと存じます。
2025年は昨年の需要の落ち込みに、いかにして歯止めをかけられるか。また第4次排出ガス規制による新基準原付の施行もあり、二輪業界にとっての大きな変化の年と言えます。この大きな変化の年を二輪車に携わる関係団体や皆さま方と一丸となって取り組んでいく所存でございます。
二輪市場にとって大切な事は、今バイクにお乗りの方に末永くバイクライフを楽しんでいただくこと。また一人でも多くの方にバイクに興味を持っていただけるような環境づくりだと考えます。決して楽な道のりではございませんが、これからも自工会 二輪車委員会の活動へのご理解とご協力をお願いしたします。ありがとうございました。
改めまして、設楽元文と申します。生まれは昭和37年10月29日、62歳。出身は埼玉県で、趣味はツーリング、バイクですね。それからキャンプ、読書、スイミング、靴磨き。靴磨きというのは日頃いろんなストレスが溜まっているのをリセットするため、非常にマインドコントロールにいい趣味だと思っています。磨いているとリフレッシュ感が非常に高まるので、好きな趣味の1つです。座右の銘は「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」ということで、宮沢賢治の詩が好きでございます。
職務経歴について、ヤマハ発動機入社が1986年です。それ以来、神奈川、埼玉、千葉で卸営業をしていました。1993年、モーターサイクルの商品企画として働いていました。当時XJR400・1200、それからドラッグスター、マジェスティと結構当社の製品が売れていた時代でございます。
その後、経営・SG(ストラテジーグループ)でブランド戦略を担当し、その後に、自身の希望で船外機事業・マリン事業に携わってみたいということで、マリンの商品企画、事業企画を経て、事業部長、責任者を行っておりました。マリンは、特に欧米、それから新興国の一般と我々は呼んでおりますが、そこでは生活の必需品になっております。欧米ではレジャーの一環として非常に文化性の高い商品でございます。
その後、企画・財務本部というところで、財務・経営を行っておりました。前任社長の日髙が本部長で私が副本部長でした。
その後、「インドに行ってこい」ということで世界最大市場のインドに赴任しました。ご存じの通りインドは14億人の人口がございます。例えば、私が行った所はチェンナイってタミルナドゥ州、ここは約8000万人ぐらいですね。1番大きいとこですとウッタル・プラデーシュ州という所が、2億6000万人ぐらいの人口。若い層の人たちがこれからオートバイに乗るということで、非常に活力がございます。ただ、そこの中のお客さまは、日本の当時1番ボリュームがあった時代で、300万台ぐらい確かあったと思いますが、そのような時代と同じぐらい活力があって、バイクが活況を呈しています。
写真に載っているのは当社のバイクでございますが、ホンダさんのバイク、それからスズキさんのバイク、非常に活力を持って売り上げを伸ばしている地域でございます。そこで会長兼社長執行役員を行って、コーポレート担当取締役上席執行で現在の副社長というポジションに就いてございます。
私の乗っていた当社製品のバイクでございますが、ヤマハ・RZ、それからXJR1300、現在はXSR900に乗っております。当然、ホンダさんですとCBX、スズキさんのRGですとか、カワサキさんのKH等のバイクを持っておりました。ほぼほぼ全メーカーを所有しました。現在XSRに乗っており、インドから帰国して注文したんですが、半導体不足で1年間待って、お客様を優先していたものでなかなか手元に届かない。供給不足を身に染みて感じた次第でございます。私からの自己紹介は以上でございます。
◾️プレゼンテーション資料
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